傷寒論 傷寒例 第三

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傷寒論 傷寒例 第三

1条 陰陽大論に云わく 春気は温和 夏気は暑熱 秋気は清涼 冬気は冷冽 此れ則ち四時の正気の序なり、冬時の厳寒は万類深く蔵す、君子は固密なれば則ち寒に傷られず、触れて之れを被る者は乃わち傷寒と名づくるのみ。

陰陽大論に述べてある様に春の気候は温和で夏は暑く秋は涼しく冬は厳寒であり此れが正しい四季の巡りである、冬の厳しい寒さの季節は万物全て籠ってしまうが良識の人は用心して寒に傷られない様にするが寒を被り害を受けた場合を傷寒と言うだけの事である。

2条 其れ四時の気に傷るるは皆能く病を為すも傷寒を以て毒と為す者は其の最も殺癘之気を成すを以てなり。中り而して即病する者は名づけて傷寒と曰う、即病せざる者は寒毒肌膚に蔵し春に至り変じて温病を為し夏に至り変じて暑病を為す、暑病なる者は熱極まりて温より重きなり、是を以て辛苦の人に春夏 温熱の病多きは皆冬時寒に触れるに由り致す所時行の気に非ざるなり、凡そ時行の者は春時は暖かきに応ずるに而して復って大寒し、夏時は大熱に応ずるに而して反って大涼し、秋時は涼に応ずるに而して反って大熱し、冬時は寒に応ずるに而して反って大温す、是れ其の時に非ざるに而して其の気あり是れを以て一歳の中に長幼之病多く相似たる者は此れ則ち時行の気なり。

凡そ四季夫々の気候は皆病の原因になるが傷寒を毒とするのは傷寒が最も激しく死に至らせる程の害を為すからで寒に中てられて即病するものを傷寒と言うだけで陽気が乏しい為に直ぐには発病せず寒毒が肌膚に潜み栄気を損ねた儘回復せず春温かくなって体内の代謝が盛んになり陽気を増して初めて蒸泄が滞り発熱するものは温病であり、もっと気温が上がり夏になって変証として発病するものを暑病とする、暑病は熱が激しく温病より重い症状である、そういうことで貧しい人に春や夏に温病や暑病が多いのは冬の季節寒に中てられるに因るもので此れは時行の病ではない、一般に気候不順によって生じる病は春には暖かい筈なのに大寒がぶり返し、夏は暑い筈なのに涼しかったり、秋は涼しくなる筈なのに反って夏の暑さが続いたり、冬は寒いのが当たり前なのに暖かかったりその季節の正常の気候に反する暑気や寒気や冷気が有って陽気不順でその為に一年の内体力の乏しい老人や幼児に病人が多く温病や暑病や傷寒に似た病証を現すものを時行の気と言うのである。胃腎の気が弱いためである。

3条 夫れ四時の正気 病を為すと及び時行の疫気とを侯い知らんと欲するの法は皆斗暦を按じて之れを占うべし。

四季の正常な温暑涼寒に因って病気を為したものと気候の不順の気に因って病気を為したものとを見分けるには全て天文や暦を参考にするのである。

4条 九月霜降の節より後は宜しく漸やく寒く冬に向かい大いに寒むかるべし、正月雨水の節の後に至り宜しく解すべきなり、此れ雨水と謂う所以の者は冰雪解け而して雨水を為すを以ての故なり、きょうちつ驚蟄二月の節の後に至り気漸やく和暖し夏に向かい大いに熱し秋に至れば便ち涼し、霜降より以後春分に至る以前に凡そ霜露に触冒しからだ寒に中てられること有りて即病する者は之を傷寒と謂うなり。

九月霜降の節「現在の十月下旬から十一月初旬の十五日間」から後は段々寒くなり冬に向かって大いに寒くなる筈である、正月雨水の節「今の二月下旬から三月上旬の十五日間」を過ぎると寒さも緩むのである、これを雨水と言う理由はこの季節になると冰雪が溶けて雨水になるからである、二月驚蟄の節「雨水から春分の十五日間」を過ぎると気候は段々温和になり夏にかけて大変暑くなり秋になって涼しくなる、霜降から春分になるまでの間に早朝の霜や深夜の露に身を晒し寒に当てられることがあって直ぐに発病する者を傷寒と言うのである。

5条 九月十月は寒気尚微にして病を為すも則ち軽し、十一月十二月は寒冽已に厳し、病を為すは則ち重し、正月二月は寒漸く将に解けんとす、病を為すも亦軽し、此れを以て冬時に調適せず寒に傷れる之人有り即ち病を為すなり。此れ四時の正気に中り而して即病する者と為すなり、夫れ冬に非節の暖ある者は名づけて冬温と曰う、冬温の毒は傷寒と大いに異なる、冬温に亦先後ありて更に相重沓し亦軽重有りて治を為すは同じからず、証は後章の如し。

九月十月は「今の十月十一月」は寒さは未だそれ程でなく病に罹っても症状は軽くて済む、十一月十二月「今の十二月一月」は寒さも厳しく病に罹ると症状も重い、正月二月「今の二月三月」になると段々寒さは和らぎ病に罹っても症状は軽くて済む、此等は冬の季節寒さに対応して防寒せず寒に傷られた人が直ちに病に罹るのである、此は四季の正常の気候に当てられて即病したとするのである、だが冬には季節にそぐわない暖かい事が有り此れを冬温と言う、冬温の毒は傷寒と大いに異なり冬温にも季節の初めと季節の終りがあり更に互いに重なったり症状にも軽重があり同じ治法を施す事は出来ない、証は後の章にある通りである。

6条 立春の節より後は其の中に暴かに大寒する事なく又冰雪せざるに而して人壮熱して病を為す者有るは此れ春時の陽気 冬時の伏寒を発し変じて温病を為すに属す。

立春の節から後はその間に急に激しい寒さも無く又大雪も無いのに高熱を発し病む者がある、此れは春の陽気が冬の季節に肌膚に潜んだ寒毒を発動させ温病を起こしたもので傷寒ではない、温病も暑病も代謝が盛んになり蒸泄が対応しないための発熱である。

7条 春分より以後秋分の節に至る前に天に暴寒ある者は皆時行の寒疫を為すなり、三月四月に或いは暴寒有りても其の時は陽気尚弱く寒の為に折かれる所の病熱は猶お軽し、五月六月は陽気已に盛ん、寒の為に折かれる所の病熱は則ち重し、七月八月は陽気已に衰う、寒の為に折かれる所の病熱も亦微なり、其の病 温及び暑病と相似たり但治にわか殊つあるのみ。

春の彼岸から秋の彼岸までの間に急に激しい寒冷が襲い其の為に病を為すのは全て時行の寒に中った病と為すのである、三月四月「今の四月五月」に急に寒い事が有っても未だ其の季節は陽気が弱いので寒に折かれて陽気を損じ蒸泄障害を起こしても発熱は未だ軽い、五月六月「今の六月七月」になると陽気は盛んで熱の蒸泄も多いから寒に陽気が損なわれると発熱も重い、七月八月「今の八月九月」になると陽気は已に衰えて来るから寒に陽気が損なわれても発熱も弱くなる、其の病状は温病や暑病に良く似ているが治法に違いがあるだけである。

8条 十五日に一気を四時の中に得、一時に六気有り、四六名づけて二十四気と為すなり。

気候の移り変わりは十五日間を一区切りにして移行し春夏秋冬の各々は十五日間の一区切りを六つ持っている、だから一年間は十五日間の気候の移り変わりを二十四回重ねているのである。

9、10条 然れども気候は亦至るに応じ而して至らざる有り、或いは未だ至るに応ぜず而して至る者有り、或いは至り而して太過の者有り、皆病気を為すなり、但し天地の動静陰陽鼓撃する者は各正しき一気のみ、是れを以て彼の春之暖は夏之暑となり秋之忿は冬之怒と為る、是の故に冬至の後一陽の爻升り一陰の爻降るなり、夏至之後は一陽之気下り一陰の気上るなり、斯くて則ち冬夏の二至は陰陽合するなり、春夏の二分は陰陽離れるなり、陰陽交易すれば人変じて病む。

然しながら気候も亦正しくは暑さ寒さが巡っては来ないし或いは未だ寒くなる季節ではないのに寒くなってしまう事もある、或いは温かくなるべきに行き過ぎて暑くなってしまう事もあり此等は皆病気の原因になるのである、但し陰陽が移り暑さ寒さが入れ替わって行くのは天の陽と地の陰と各々正しい一気があるだけである、此によって春の暖かさから夏には暑く秋には涼しく冬は寒さを加えるのである、陰と陽各々一気が入れ替わって行く為に冬至の後は陽の爻が一つ升り陰の爻が一つ降りて入れ替わるのである、夏至の後はその反対に一陽の気降り一陰の気升るのである、それで冬至夏至は陰陽が同等に合し春分と秋分は陰陽が分かれて離れ離れになっているのである、陰陽の入れ替わりがあれば人にも影響が及び対応することが出来なければ其れによって病を生じるのである。

11条 此れ君子は春夏は陽を養い秋冬は陰を養い天地の剛柔に順うなり、小人は触冒し必ず暴診に嬰ながる、須らく毒烈の気留まり何れの経に在り而して何の病を発するかを詳らかに知り而して之れを取るべし。

従って良識の士は春と夏には冬に備えてエネルギーを浪費せず活力を養い、秋冬には栄養に気を付けて五蔵の働きを衰えさせないようにし暑さ寒さの体の変化に逆らわない様にするのである、無知で健康を顧みない愚かな者は一旦寒や暑の毒に傷られれば必ず大病に繋がる、病邪がどの経に在って傷寒であるか中風であるのか何の病なのかを詳しく知った上で治を行うべきである。

12条 是れを以て春 風に傷られれば夏必ず飧泄し、夏 暑に傷られれば秋必ず虐を病み、秋 湿に傷られれば冬必ず咳嗽し、冬 寒に傷られれば春必ず温を病む、此れ必然之道にして之れを審明にせざるべき。

そういう次第で春に風に傷られれば表の蒸泄が障害され陽気が回復されない儘でいると夏になり代謝が盛んになると胃に熱が滞り裏気を損じて下利を病み、夏に暑に傷られ栄気が回復されない儘秋になり陽気が乏しくなってくると熱の鬱滞は益々甚だしく津液を損じて虐を病み、秋陽気が衰え霧露の湿に当てられると冬は一層陽気が衰えるので表の蒸泄は阻害され肺に熱が滞り咳嗽を患う、冬寒に傷られ表の陽気を損じ且つ津液の循環が阻害された儘回復されないでいると春になり外の陽気が増して代謝が盛んになってくると蒸泄が伴わず熱の滞りを起こし温病を病む、此れは当然の道理でこの事を良く弁えておくべきである。

13条 傷寒之病は日の浅深を逐いて以て方治を施す、今世の人 寒に傷られ或いは始めに早く治せず或いは治の病に対せず或いは日数久淹し困しみて乃わち医に告ぐるに医人又次第に依り而して之れを治せざれば則ち病に中らず、皆宜しく時に臨んで消息し方を制すべし、効せざること無きなり、今中景の舊論を捜採し其の証候 診脉 声色 病に対する真方神験有る者を録し擬して世の急なるを防がんとするなり。

傷寒の病は伝経するから発病してからの日数で治法が異なる、近頃の人は傷寒を患い早期に治を施さず或いは適切な治法で無かったり或いは拗らせて耐えられなくなって初めて医者にかかり其の医者も亦正しい治法の手順に依らずそのため病位病状に合わず治らないのである、皆患者に臨む時よく病位病状を探り薬方を決めるべきでそうすれば効果が得られない事は無いのである、今中景師の原典を求めて証候 診脈 声色 病に対しての正しい処方で神験あるものを手本として取り上げ世の苦しみを防ぎたいと思うのである。…王叔和

14条 又土地の温涼高下同じからず物性の剛柔そん飡きょ居も亦異なる、是れ黄帝 四方の問を興し 岐伯 四治之能を挙げ以て後賢に訓しえ其の未だ悟らざる者を開く、病に臨むの工は宜しく須らく両審を用うべきなり。

又気候風土により病は同じではなく山岳地帯や平野部等の生活環境 食べ物なども違いがある、此れは素問の中で黄帝が様々な問を発し岐伯が其れに対し様々な治法の効能を挙げて後賢に教え未だ判らずにいる事を明らかにしてくれている、病の治療に当たる者は気候風土や食事による病の相違と治法の両方を心得ていなければならないのである。

15条 凡そ寒に傷られれば則ち病熱を為す、熱甚だしと雖も死せず、若し寒に両感し而して病む者は必ず死す、尺寸倶に浮なる者は太陽病を受くるなり、当に一二日に発すべし、其の脈は上りて風府に連なる故に頭項痛み腰脊強ばる、尺寸倶に長なる者は陽明病を受くる也、当に二三日に発すべし、其の脈は鼻を侠んで目に絡う故に身熱し目疼き鼻乾き臥するを得ず、尺寸倶に弦なる者は少陽病を受くる也、当さに三四日に発すべし、其の脈は脅を循り耳に絡う故に胸脅痛み而して耳聾す、此の三経は皆病を受けて未だ府に入らざる者 汗して已ゆべし。 三陽経病いずれも太陽病

一般に傷寒を病むと発熱するが幾ら熱が激しくてもそれで命に関わると言う事は無い、若し寒邪が少陰経と太陽経と両方倶に犯し裏寒を挟む両感の場合は下焦は寒し津液を巡らせず上焦は陰気竭し多くは死に至るのである、尺脉と寸脈が倶に浮であるときは太陽経脈が病を受けているのである(蒸泄障害)、一二日で発病する筈で、太陽経脈は上に上って風府に連なっているので頭や項が痛み腰や脊椎が強ばる、尺脉寸脈が倶に指に溢れる長い脈を現す時は陽明経脈が病を受けているのである、若し病邪がより深く侵入する事になれば二三日目ぐらいに発症する(熱の鬱滞を増す)、陽明経脈は鼻を侠んで目を取巻いているので体が熱っぽく目が痛み鼻中が乾いて静かに臥していることが出来ない、尺脉寸脈が倶に弦脈である場合には少陽経脈が病を受けているのである、初めに寒を受け病邪が更に深く侵入することになれば三四日目位に発症する筈である(胸膈に熱入る)、少陽経脈は脅下を巡り耳を取巻いているので胸脅が痛んで耳が聞こえなくなる、此等の三陽経の病は全て邪を受けて未だ府に入っていない経病であるから発汗を用いれば治癒できる。

16条 尺寸倶に沈細の者は太陰病を受くる也、当に四五日に発すべし、其の脈は胃中に布きえき 嗌を絡うを以ての故に腹満し而して乾く、尺寸倶に沈なる者は少陰病を受くる也、当に五六日に発すべし、其の脈は腎を貫ぬき肺を絡い舌本に繋るを以ての故に口燥き舌乾き而して渇す、尺寸倶に微緩なる者は厥陰病を受くるなり、当に六七日に発すべし其の脈は陰器を循り肝を絡う故に煩満し而して嚢縮む、此の三経は皆病を受けて己に府に入る 下して已ゆべし。 …三陰経熱で陽明病に属する

尺脉と寸脈が倶に沈細の場合は太陰経脈が病を受けているのである、太陰が邪を受ければ太陰の府である胃に邪が入り胃気弱ければ裏気滞り四五日目に発病する則ち胃気の鬱滞に因り太陰経脈が病を受けるのである、太陰経脈は胃中に広がり喉を巡るので腹満し喉が乾燥する、この時は沈細の脈は実である、尺脉と寸脈が倶に沈の場合は少陰経が病を受けているのである、病が治癒せず一旦胃に入った邪は伝える事はないが胃気滞るにより脾気制せられ少陰経脈が病を受け五六日目になると発症する、少陰経脈は腎を貫通し肺を巡り舌本に繋っているので口が燥き舌が乾いて水を飲みたがる、これは経脈の津液が乾き血熱を生じたのである、尺脉と寸脈が倶に微緩である場合は厥陰経脈が病を受けたのである、病が治癒しなければ更に胃気滞るに因り熱は厥陰経脈に及び六七日目になると発症する、厥陰経脈は陰器を巡り肝を取巻いているので邪を受けると胸満して煩し血熱し胸膈に熱が滞る為に門脈系に血滞を生じ下焦に血流が伸びなくなるので陰嚢が縮む、此等の三陰経病は全て太陰の府である胃に病邪が入り胃気滞る事が病因であるから下法を用いて治癒されるのである。

17条 若し寒に両感する者は 一日太陽之れを受くれば即ち少陰と倶に病む、則ち頭痛し口乾き煩満し而して渇す。二日陽明之れを受くれば即ち太陰と倶に病む、則ち腹満し身熱し食を欲せず譫語す。三日少陽之れを受くれば即ち厥陰と倶に病む、則ち耳聾し嚢縮み而して厥し水漿入らず、人を知らざる者は六日に死す、若し三陰三陽 五蔵六府皆病を受ければ則ち栄衛行かず府蔵通ぜざれば則ち死す。

もし陰経と陽経が同時に病む場合には一日目は太陽経が寒を受け小陰経と同時に発病する、則ち太陽経の頭痛発熱と同時に下焦に寒を受け津液が巡らず上熱下寒し上焦熱鬱の口乾胸満煩熱渇等の病証を現す。二日目になり陽明の気弱ければ陽明経が邪を受け太陰経に直中し同時に発病する、此の場合は裏寒による腹満不欲食と同時に陽明経熱の身熱譫語則ち裏寒外熱の証を現す。邪強く正気乏しければ三日目には少陽経が邪を受け厥陰経と倶に病む、則ち少陽経の耳聾と厥陰経の嚢縮むの両方の証が現れ中焦の気も衰えて手足厥し飲み物も喉を通さなくなる、意識障害を現す場合は六日目位で死亡する。三陰三陽経 五蔵六府全て病に犯されれば体を護る事も栄養する事も出来ず五蔵六府 経絡の働きは途絶えて死するほかないのである。

18条 其れ寒に両感せず更に経を伝えず異気を加えざる者は七日に至り太陽病衰え頭痛少しく愈ゆる也、八日陽明病衰え身熱少しく歇む也、九日少陽病衰え耳聾微しく聞こえる也、十日太陰病衰え腹減じて故の如し則ち飲食を思う、十一日少陰病衰え渇止み舌乾已え而して嚔する也、十二日厥陰衰え嚢縦るみ少腹微しく下り大気皆去り病人精神爽慧也、若し十三日以上を過ぎ間えず 尺寸陥する者は大いに危うし。

凡そ両感の病で無く再経する事も無く別の新らたな病を加えない場合には三陽経脈三陰経脈全て病む場合でも治が適切であれば七日目位には太陽経は正気を回復して病勢は衰え頭痛は少し軽快してくる、八日目には陽明経脈の正気が回復し身熱が少し治まり九日目には少陽経脈の正気が戻り耳が少し聞こえる様になり十日目には太陰経が回復し腹満が除かれて元に戻り空腹感を覚え十一日目には少陰経が回復して喉の渇きがとれ舌の乾燥が除かれ津液を回復してクシャミが出て気の滞りを除く十二日目になると厥陰経の正気を回復し陰嚢が緩み下腹の力も戻って邪気は全て去り病人は気分がさわやかになるのである。若し十三日以上経過し回復せず、尺脉と寸脈が重按して触れない場合は表気も裏気も衰えてしまったのであるから大変危険な病状である。

19条 若し更に異気に感じ変じて他病を為す者は当に舊壊の証病に依り而して之れを治すべし、若し脈陰陽倶に盛ん、重ねて寒に感じる者は変じて温虐を為す。陽脈浮滑、陰脈濡弱の者は更に風に遇い変じて風温を為す。陽脈洪数、陰脈実大の者は温熱に遇い変じて温毒を為す、温毒は病最も重しと為す也。陽脈濡弱、陰脈弦緊の者は更に温気に遇い変じて温疫を為す、此れ冬に寒に傷られ発して温病を為す。脈の変証の方治は説の如し。

傷寒が治りきらない内に若し更に風 寒 温 熱 等の異気に感じて重ねて患った場合は元の傷寒と新らたな病の現す証によって治すべきである、若し寸脈尺脉が軽按重按倶に打ち方が盛んなのは重ねて寒を受けた場合で表裏に熱を生じ津液を損ない熱の鬱滞を増し温虐「先熱後寒型の周期熱」になったのである。寸脈が軽按で浮、按じて滑、尺脉は按じて濡弱の場合は裏虚表熱の脈で寒に傷られ陽気が回復しない内に更に風を受け衛気を損じたもので風温に成るのである。寸脈は軽按して洪数、尺脉は重按して実大の場合は傷寒を病み下焦の寒が回復しきれない内に更に温熱に遇い津液を虧損したもので肝や心にも負担が及び病は最も重症である、此れを温毒と言うのである。按じて寸脈は濡弱、尺脉は弦緊の場合は陽気乏しく下焦に寒が有り栄衛巡らない為に温気に遇うと対応出来ず直ぐに発熱するのであり此の場合は温疫に成ったのである。此れは冬に寒に傷られ陽気が乏しい為に下焦の寒が除き切れず温病に成っているのである。以上の病の脈の変化 証の変化に対する方治は説いてある通りでよい。

20条 凡そ人 疾有りて時に即治せず隠忍して差ゆるをこいねがう、以て痼疾を為す小児女子は益々以て滋甚す、時に気和せざれば便ち当に早く言うべし、其の邪の由って及ぶを尋ね腠理に在るの時を以て之れを治すれば愈えざる者有る事罕なし。患人之れを忍ぶ事数日にして乃わち説く、邪気蔵に入れば則ち制すべきこと難し、此れ家に患有れば慮を備うる之要と為す。

一般に病に罹りその時直ぐに治することをせず耐え忍んで治ることをひたすら願うのであるが其れで持病になってしまうのである、幼児や婦人は殊にそういうことが多い、異常を覚えた時は直ぐに訴えて其の邪が何処から来ているのかを明らかにし未だ表に在る時期に治を加えれば治癒しないと言う事は無いのである、幾日も辛抱して耐え切れなくなってようやく訴えた時には病邪が己に蔵に入ってしまっていれば此れを押さえ込む事は難かしいのである、此の事は家に病人が出た時に考えて置かねばならない事である。

21条 凡そ湯液を作るにしんや晨夜を避くべからず、病を覚えれば須臾にして即ち宜しく便治すべし、早晩を等ざりにせざれば則ち愈え易し、若し差やす事遅ければ病は即ち伝変し除治せんと欲すと雖も必ず力を為し難し、服薬 方治の如くせず意を縦しいままにし師に違えば之れ治を須いず。

湯液を作るのに早朝だから深夜だからと憶怯がってはならない、異常を覚えたら時を移さず適切な治法を取らねばならない、時を置かなければ治り易いのである、若し治法を取ることが遅ければ病状は進行し病を除こうとしてもその時には充分に薬力を発揮させることが出来ない、薬の服用法を守らず好き勝手を通して養生を守らない者は治を施してはならない。

22条 凡そ傷寒の病は風寒より之れを得、始めに表 風寒に中り裏に入らざれば則ち消せざるも未だ温覆し而して当に消散せざるべき者有らず、証治在らざるを擬して之れを攻めんと欲せば猶お当に先ず表を解し乃ち之れを下すべし、若し表 解し己り而して内 消せず大満するに非ずして猶お寒熱を生ずるは則ち病除かず、若し表 解し己り而して内 消せず大満し大実堅するは燥屎有り自ら之れを下して除くべし、四五日と雖も禍を為す能わざるなり、若し下すに宜しからず而して便ち之れを攻めれば内虚し熱入り協熱し遂に利し煩燥し諸変挙げて数うべからず、軽き者は困すること篤く重き者は必ず死す。

全て傷寒の病と云うものは風寒が病因で(冷たい風で表に寒を受ける)始めに表が風寒に中たり表気弱く深く入り込むとなかなか消えないが服薬して温かく覆ってやると消えないものは未だ無いのである、証が判らず治法が定められない場合に推測して此れを下そうとするときは風寒はまず表に中たり病邪がまだ表に残っている事があるから先に表を解す方剤を用いその後で猶お病証が有るときに下す様にすべきである、若し発汗法を用いた後猶お身熱が去らず大いに腹が張るのでなく寒気と熱が有れば表の熱が未だ除かれて無いのである、若し発汗法を用いた後に大いに腹満して堅い場合は大便が乾燥して塞がっているためで此の場合には下して燥屎を除く病期になっているのだからよしんば日が浅い場合でも下法により害を与える事はないのである、若し下す時期でないときに下法を用いれば内虚し陽気を一層虚せしめ表の熱を引き入れて内虚は回復することが出来ずに協熱し下利が止まらなくなり遂には津液を失い煩燥し様々な変症を引き起こし病証の軽い場合でも大いに苦しむ事になるし重い場合には死に至るのである。

23条 夫れ陽盛陰虚は之れを汗すれば則ち死す、之れを下せば則ち愈ゆ、陽虚陰盛は之れを汗すれば則ち愈え之れを下せば則ち死す。夫れ是の如くなれば則ち神丹も何くんぞ誤りを以て発すべき、甘遂も何くんぞ妄を以て攻むべき、虚盛の治は相背むく事千里、吉凶之機は応ずる事影響の如し、豈に容易ならんや、況んや桂枝 咽を下り陽盛んなれば則ち斃れ、承気湯 胃に入れば陰盛は以て亡ぶ、死生の要は須臾に在り、身の尽くるを視るは日を計うるに暇有らず、此れ陰陽虚実之交錯は其の候至って微に、発汗吐下の相反するや其の禍は至って速く医術浅狭にしてぼうぜん懵然病源を知らずして治を為せば乃ち誤り病者をしていんぼつ殞没せしめ自ら其の分と謂わしめ、えんこん寃魂をして冥路を塞がしめ死屍曠野をみ盈たすに至る、仁者は此れにかんが鑒み豈に痛しまざらんや。

栄衛の調和が得られて熱は滞りなく蒸泄されているのであるが発熱している場合、栄気乏しいものを発汗させると更に津液を失い死に追いやることになる、この場合は裏熱を下して裏気を通じ津液を養えば治癒する、衛気乏しく蒸泄出来ない場合は衛気を援けて発汗させてやれば治癒するが此れを下すと更に脾胃を虚せしめ陽気を損なう事になり結胸や協熱利などの変症を起こして死に追いやる事になる、それであるから神丹「発汗剤の名称」と言えどもどうして誤って用いて良い事があろうか、甘遂と言えどもどうして弁えもせず用いる事が出来ようか。虚の治法と盛の治法には千里の隔たりが有り吉凶の境は光と影 撥と響きの様に忽ちに現れる、どうしてなかなか容易なものではないのである、ましてや陽盛陰虚の者に桂枝湯を与えれば死に至らせる事になり、陽虚陰盛の者に承気湯を与えるとその為に変症を起こして死に追いやる事になる、死生の要は適切な治法で有るか否かの僅かな時間に掛かっており若し誤れば見る見る内に悪化して行くのである、此の陰陽虚実の交錯はその症候は至って微かなもので発汗吐下の誤りはその禍は至って急速に現れ、方術の未熟さで病の原因も良く判らず治を施せばその治を誤り病人を死に至らしめ、寿命で致し方なかったなどと言わしめるのである、誤って死に至らしめられた 恨みの霊魂は冥途えの道に溢れ屍は累々として曠野にみちるに至る、仁者は此の有様を見てどうして心を痛めないでいられようか。

24条 凡そ両感し倶に病むは治を作すに先後有り、表を発すると裏を攻むるは本と自ら同じからず、妄意に迷執する者は乃ち云う 神丹 甘遂合わせて之れを飲めば先ず其の表を解し又其の裏を除くと、言は巧みにして是れに似るも其の理は実と違う、夫れ智者之挙錯するや常に審らかにして以て慎み愚者之動作するや必ず果而して速し、安危之変は豈に詭わるべけんや、世上之士は但彼の翕習の栄に務め而して此の傾危之敗を見ること莫し、但明なる者は居然として能く其の本を護り近く諸を身に取る、夫れ何ぞ遠ざかる事之れ有らんや。

凡そ両感を為した場合は治法に先後が有り本来発汗と下法とでは本質が異なるのであるそれを訳の判らない理屈に囚われて神丹と甘遂を一緒に飲めば先ず表の熱を解し同時に裏の熱も除くなどと言葉は巧みで尤もな様であるが其の理屈は真実と異なっているのである、智者と言うものは行動するときに常に理を審らかにし慎重であり愚者は考えるより動く方が早いのであるが治癒に向かうか危篤に追い込むか病状の変化はどうしてごまかすことが出来ようか、今の世の風潮は権勢や富を求める事に務め何時覆って不幸に陥るかも知れない不安定さを見ようとはしない、但賢明な者だけは世の風潮に惑わされず基本を守り諸々の理論を身につけ決して正しい医道から遠ざかる事はないのである。

25条 凡そ発汗の湯液を温服させるに其の方に日に三服すと言うと雖も若し病劇しく解せざれば当に其の間を促すべく半日の中に三服を尽くすべし、若し病と相阻めば即ち便ち覚ゆる所有り、重病の者は一日一夜 さいじ啐時に之れを観るべし、若し一剤を服し病証猶お在れば故の如く復た本湯を作り之れを服さすべし、汗出ずる事を肯わざる有るに至りても三剤を服すれば乃ち解す、若し汗出でざる者は死病なり。

一般に汗を発する為に湯液を服用させる時一日三服させよとなっていても若し病が劇しく汗が出なければ間をつめて半日に三服を飲み尽くさせる、若し其の為に病状に障る事が有れば直ぐに何かの自覚を覚える、重病の場合には一昼夜二時間ごとに見舞わねばならない、若し三回分を飲ませても病証が未だ在る時は元の様に同じ薬を作って飲ませよ、なかなか汗が出てくれなくても九回分を飲ませれば汗が出るであろう、それでも汗が出ない場合は陰陽倶に虚が甚だしく最早回復出来ない病人である。

26条 凡そ時気の病を得て五六日に至り渇して水を飲まんと欲し飲む事多くする能わざるは与えるに当たらず、何となれば腹中熱尚少なきを以て之れを消する能わず、便ち更に人に与えれば病を為す也、七八日に至り大いに渇し水を飲まんと欲する者は猶お当に証に依りて之れを与うべし、之れを与える事常に足らざらしむ、意を極めしむることなき也、よく一斗を飲まんと言うは五升を与う、若し飲みて腹満し小便利せず若しくは喘し若しくは噦するは之れを与うべからず、忽然と大いに汗出ずるは此れ自ら愈えんと為す也。

27条 凡そ病を得て反って能く水を飲むは此れ愈えんと欲するの病と為す、其れ病に明らかならざる者は但病 水を飲みて自ら愈ゆるを聞き小しく渇する者乃わち強いて与えて之れを飲ませ因って其の禍を成す又数うべからず。

一体に寒温暑などその季節の気に犯されて病む時発病して五六日は先ず胃気回復し熱が籠る時期で喉が渇き水を飲みたがるがそれでも余り多く飲めない場合は与える必要は無い、何故なら胃中の熱は未だ少ない為に此れを処理出来ないのだから無理に飲ませればそのため脾胃の機能を損ない新たな余病を起こすのである、七八日頃になって大いに喉を渇かし水を飲みたがる者でも猶お全体の証に依って与えるべきで水は常に少なめに満足する程飲ませてはならない、一斗は飲める「約400cc」と言うなら半分の五升を与える、若し水を飲んで腹満し小便が出なかったり或いはゼーゼーしたり或いはシャックリが出たりする場合は脾胃虚寒が在るのだから此れ以上水を与えてはならない、たちまちに大いに汗が出るのは津液回復し自然に治癒するのである。一般に時気の病に罹り反って水を飲むのは快復期に在って胃気が回復し津液を補おうとする兆で病が治癒しょうとしているからである、その理を知らずに但水を飲めば病気が治るのだと聞いて少ししか渇がないのに無理やり水を飲ませそのために禍を為す事も又枚挙に暇がない。

28条 凡そ病を得て厥し脈動数、湯液を服し遅に更まり、脈浮大 小に減じ、初めに躁し後に静かなるは此れ皆愈ゆるの証なり。

病気に罹り手足が冷たく脈動数であったものが湯液を服した後…四逆湯…遅に変わってきたのは病勢が衰えてきたのであり、浮大の脈が小になったのは表熱が引いてきたのであり、初めに手足をバタバタさせてもがいていた者が安静になってきたのは血熱が除かれてきたのであり此等は皆快方に向かっている兆である。

29条 凡そ温病を治するは五十九穴を刺すべし、又身の穴は三百六十五有り、其の三十九穴は之れを灸して害有り、七十九穴は之れを刺せば災を為す、并せて髄に中る也。

30条 凡そ脈の四損は三日にして死す、平人の四息に病人の脈一至なるは名づけて四損と曰う、脈の五損は一日にして死す、平人の五息に病人の脈一至なるは名づけて五損と曰う、脈の六損は一時にして死す、平人の六息に病人の脈一至なるは名づけて六損と曰う。

温病を治するには上下内外の熱の通路五十九穴を刺さねばならない、又体のツボは三百六十五有るが其の内三十九の穴は灸をすれば害が有る、七十九の穴は鍼をすれば害がある、どちらも髄を犯すのである。「素 刺熱論」凡そ四損の脈を現した病人は三日で死ぬ、平人の一呼吸に四回打つのを平脈とするが、それが四呼吸の間に病人の脈が一つしか打たないのを四損と曰う、五損の脈を現した病人は一日で死ぬ、平人の五呼吸に一回しか打たない病脈を五損と曰う、六損の脈を現した病人は一刻 約二時間で死ぬ、平人の六呼吸に病人の脈が一回しか打たないのを六損と曰う。

31条 脈盛んにして身寒するは之れを傷寒に得、虚にして身熱するは之れを傷暑に得。

緊数大滑洪の様に脈の打ち方が盛んで寒気がする場合は傷寒に依るのである、微濇芤弱弦遅など虚脈で身熱するのは傷暑に依るものである。津液の滞りと津液の損傷

32条 脈陰陽倶に盛んにして大いに汗出で解せざる者は死す。

脈陰陽倶盛大汗出は脱汗の証、血中の津液が蒸されて出て既に心臓は衰弱し治癒させることは出来ない。

33条 脈陰陽倶に虚にして熱止まざる者は死す。

脈陰陽倶に虚し病勢が衰えないのはすでに津液竭きたのである、治癒させることは出来ない。

34条 脈至ること乍まち疎、乍まち数なる者は死す。

脈の打ち方がたちまち疎らに成ったかと思うとたちまち早く打って来る様な場合は心臓衰弱を起こしている末期の脈状である。

35条 脈の至ること転索の如き者はその日に死す。 辨脈17条参照

拍動が弱く転がした綱の様に緊張がなく堅くゴリゴリした脈状を現す者は循環力が衰え脈流が結しているのである、その日の内に死ぬ。

36条 譫言妄語し身微に熱し脈浮大手足温なる者は生く、逆冷し脈沈細の者は一日を過ぎずして死す。

うわ言や訳のないことを口走り体は微に熱があり脈浮大手足が温の場合は陽明経熱のうわ言である、此は救う事ができる、手足が逆冷し脈沈細の場合は血中の津液竭き血熱が甚だしい事に依る厥陰のうわ言で陽気も衰微の兆である一日とはもたず死ぬ。

37条 此れより前は是れ傷寒熱病の証候なり。

ここまでは傷寒による熱病の症候である。

【引用・転載の際は河合薬局までご連絡願います】

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